中年40代サラリーマンサラエボのちょっと詳しい物語

はじめまして!

当サイトの管理人のサラエボ(kurox_evo)と言います。

僕のブログにお越しくださり、また、プロフィールまでご覧いただきありがとうございます。

少しだけ自己紹介させてください。

 

  • 40代
  • 普通のサラリーマン
  • 既婚で3人の父
  • ネットビジネス副業
  • 趣味はいろいろ体験すること

 

サラリーマンが収入を得たいと、副業を開始して1年半後には月収83万円2年後には月収177万円を達成しました。

 

給料を合わせると月収200万円オーバー!!

 

めちゃくちゃ夢ないですか?

今まで自分のいた世界って、これが当たり前だと思ってたけどそうではなかった!

価値観が完全にぶっ壊れた瞬間でした。

本当にワクワクするネットビジネスの世界ですが、実際にそこまでの道のりは簡単なものではありませんでした。

ひょんなきっかけで出会ったブログ

そしてネットビジネスが自分の人生を変えてくれたんです。

それでは、僕が今までどんな生活を送ってきたか

どんな考え方で今に至るかについてお話ししたいと思います。

ちょっと卑屈というか、ネガティブな考えばかりで、お聞き苦しいかもしれませんが、全て本音のお話しです。

そんな自分でも稼ぐことができた。

副業って簡単ではありませんが、誰であっても決して達成できない目標ではないんです。

序章~普通の人生を目指したサラリーマン

僕は父親がサラリーマン、母親が主婦という典型的なサラリーマン家庭で育ちました。

そういう意味では、決まった時間に家族で食事をして何不自由なく暮らしてきたし、それが当たり前だったんです。

なので、自分の中で、大人になったらサラリーマンになるってことしか考えてなかったんです。

その生活に疑問を持たず、普通を目指して生きてきました

良く言えば

『普通、安定』

悪く言えば

『何も挑戦しないつまらない人生』

これは価値観なんでどちらを否定するもんではありません。

そう、超まじめにレールの上を走ってきた感じですね。

そんな自分が、今なぜネットビジネスという世界に飛び込んだのかを知っていただけたら、そして、新たな可能性があるってことへの気づきになれば嬉しいです。

それでは、ここに書いていきますね。

小学生時代~ネガティブ思考が形成された

小学校のときは、1クラス26人(男子10人、女子16人)の小さい学校。

身長はちっちゃく前の方で

すでに太っててずんぐりむっくりした体格でした。

昔からとにかく人見知りがひどくって、自分から話しかけれず(今でもですが)

なかなかみんなの輪の中に入れない。

でも、声かけてくれる友達がいて凄く嬉しかったことを覚えています。

昔から仲良くなるまではちょっと時間がかかるけど、ちょっとづつ関係構築していくので、いきなりハイテンションとかちょっと苦手な子供でした。

とにかく勉強はまったくできず、九九を覚えたのはクラスでワースト

あと、人前でしゃべるのが一番嫌い。

授業中は手を上げるのが恥ずかしくって

本読みを当てられると、うまく読めずみんなにクスクス笑われる。

国語の成績は5段階で1を付けられるほど、、、

普通1って成績はつかないものって聞いていたので

『あ、自分ってバカなんだ』って気づいたのはこの時

学力は、26人中で24番目で本当に勉強ができなかったんです。

塾に入っても、英語のアルファベットさえ覚えられなくって、真面目にやってるんかと怒られ、筆箱で頭を殴られ(今なら問題?)

同級生からは

「あいつバカやな」

って裏で言われたのを聞いて、これは今となっても忘れられないぐらいショックなできごと

自他ともに認める頭の悪さ。

小学校3年生でスポーツ少年団に入って、ソフトボールをやってました。

人数が少ないチームなんですが、ずーっと2軍で、同級生が続々レギュラーになる中で、下級生に抜かれ6年生になってやっと年齢でレギュラーになりました。

練習中はボールも捕れる、パワーがあったので長打を打てる自信はありました。

でも、試合になると緊張から結果がなかなか出せなかったんです。

練習すればするほど力んで結果が出ない。

とにかくプレッシャーに弱い、本番に弱い。

そうやって自分に思い込みをかけてたんですよね。

勉強できる人やスポーツできる人って見ると、正直、悔しいって気持ちはあるものの、自分では無理って努力もせず諦めてしまう。

自分が情けなくって、情けなくって嫌いで仕方なかった

極めつけは、後輩の女の子の下校中に唐突に

「変な顔」

って、言われたこと、、、何で言われたのか頭をグルグルまわるトラウマになりました。

やることなすこと、うまく行かず、何をするにも自信がなくってしまったのは、この頃からなんですよね。

ネガティブ思考が形成されたのはこの小学生時代なんです。

中学校時代~目立たず生きる学校カースト下位

中学校は、町の6小学校が集まる1学年7クラスの比較的大きな学校です。

同じ小学校出身者は少ないので、男子で一緒になれませんでした。

もともと人見知りだったので、またなかなか馴染めない日々が続いていきます。

仲良くなっていく同級生を見ていると

「自分はつまらない人間、自分と付き合うより、他の人と付き合う方が楽しいんやろな」

って、そんなことばかり考えてしまう日々で、馴染むのにも時間がかかってました。

部活を何にしようか悩んで、卓球部に決めていたのですが、新しくできた友達から誘ってもらって、嬉しくて何の思いもなく急遽剣道部へ入部。

ホント、まったく主体性がない人間だったんです。

結局、あまりやりたくなかったのと

とにかくめちゃくちゃ防具って暑いんですよね。

キツイ、クサイ、イタイ

何より、人見知りで

「ヤー メーン!」←掛け声

って声も出すのが恥ずかしいし、先生も厳しくってよく怒られてた。

休憩で冷水器に並んでいると

「クサッ」

って、言われるなどなんか嫌になってきてサボりはじめて

極めつけは

2年生の時に、1年生に試合で負けたこと・・・・。

経験者じゃなくて、中学校からはじめた子にですよ。
余談ですが医者の子。

もぉ、恥ずかしくって逃げ出したい。

悔しいから練習して強くなろうって思考はなく

それから、部活に行かなくなりました。

その後も、内申書が悪くなるって理由で、なかなか辞めれませんでしたが、2年生の途中で退部することに。

ちなみに、とりあえず入った国際情報部はヤンキーのたまり場。
でも、結局1回も行きませんでしたけど(笑)

進学は、勉強したくないってことから大学って道はありませんでした。

でも、小学校の時は最下位に近かった学力も、中学校には自分よりも頭が悪い人って結構いて、中の中ぐらいの順位になって妙に安心。

少しだけ自身もアップしましたね。

という訳で、となりの市の商業高校を受験し、レベル的には中の中。

受験で、ラスト1分見直してたら、理科の最終ページがあることを発見!

焦ったところで間に合わず、そこだけ白紙。

家に帰って落ち込みましたが、倍率も高くなかったので合格でした。

高校時代~家と学校の通学だけの生活

高校には電車はなんか嫌なので自転車通学を選びます。

商業学校といえば、女子が多いんですよね。

クラス40人中30人が女子で、女子だけのクラスなど男子ならうらやましがられるシチュエーション。

でも、もともと女子としゃべるのが苦手な自分はほとんど話すことのない状態になっていました。

女子の勢力があまりに強くって怖いぐらいの雰囲気なんです。

他の男子は楽しそうにワイワイしてて、うらやましい。

凄くその空気間が居心地悪くって、なんか自分が情けなくなってくるようになってきました。

もちろん、そんな性格なので3年間彼女はいませんでした。

勉強は

「一番嫌いな英語のテストで13点(人生最低点)」
「そろばんの計算で手計算してたら最低点」
「ワープロ検定3級は、クラスで落ちたの3人だけ」
「古文がまったく読めずにみんなから失笑」

真面目だけがとりえの自分ですが、たいした成績じゃなく。

先生もちょっとイケてる生徒には優しいけど、自分に対しては少しきつくって、見下している感覚を感じていました。

もぉ完全に被害妄想状態ですよね。

ゲームが毎日できると思って入ったコンピューター部は、本気のプログラミングの勉強をするクラブ。

飽きて1週間で退部してしまいました。

みんなは部活を本気でやっている中で、帰宅部の自分

自分には何もないことの虚しさだけがある。

その後は、家と学校の往復するだけの人生。

あと、毎日っていうぐらいプリングルス(BBQ味)とトッポ、オロナミンCを摂取するって生活になっていきました。

まぁ、そりゃあブクブク太りますよね。

コミュニケーションの取れない自分は、アルバイトも工場の簡単な製造作業

内容は段ボールを組み立てる。

日によっては段ボールの中に部品を1つ入れるって誰でもできる作業です。

夏休みの1ヶ月程度の間もくもくとそれだけの作業。

1日が経つのがめちゃくちゃ長くって、正直しんどい。

当時の時給の最低賃金、、確か600円代だったんですがこれだけ作業してもたったのこれだけって軽い絶望感はありましたね。

多分、コピー機などの組み立てのメーカーなんですが、それさえも分からず漠然と言われたことをこなす仕事って具合なんで、そんなもんなんでしょうね。

昼もウイダーインゼリーで済ませてあまり人とは関わらない毎日。

慣れとそれはそれで楽かなって感覚。

自分の人生は、人と接せず機械的に働くことしかできないって思考ができあがってました。

正直、3年間は楽しかったって思えたことはなかったかなぁ。

ただ高校に行くだけの高校時代。

就職~スーパー学歴コンプレックスこじらす

平成10年は超・超氷河期!!

なんと、なんと。

高卒だったのに就職だけは人生最大の大金星。

家族にも親戚にも凄く喜ばれたんですよね。

並みの高卒でも誰もが知る、大手企業とよばれる会社に入社することができたんです。

まぁ、喜んでたのもそこまで。

高卒で入った会社の同期は大卒だらけ

しかも、東大、京大、阪大、早稲田、慶応、明治・・・・

僕でも知っている超有名大学がずらり。

2週間の泊りがけの研修があって、圧倒的なレベル差。

「考える能力」

「スピーチ能力」

「コミュニケーション能力」

高校でぬくぬく暮らしてきた自分と
大学でしっかり学んできた人たちとでは全然相手にならんよ~

自分は何もない高卒

対等にしゃべることさえ抵抗感、孤独感が凄くって初日で辞めたいって思いましたね。

 

スーパー学歴コンプレックス

の出来上がり!

その後はいろんな部署で研修を半年間する訳ですが、中でも営業研修は忘れられない経験。

飲食店に行っても

「水下さい」

ってよー言わない自分が訪問営業をする訳ですから。

最初は

真面目にまわってたのですが、質問に答えられない。

インターフォンごしに怒られる。

即効メンタルやられて、やる基礎喪失

その後は

「時間つぶしに公園のベンチで寝て過ごす」

「研修生の部屋でジャンプを読んで過ごす」

「古本屋で立ち読み(同期と会う)」

「遊園地へ遊びに行く(クビレベル)」

売上成果も家族に購入してもらっただけで同期約40人の中で最下位でした。

その後も、法人営業部へ配属されたものの

「レポート発表やプレゼンでは緊張でしゃべれなくなり」

「TOEICを受ければ、4択にもかかわらず1,000点満点で195点」

「2週間の泊りがけの研修ではフットサルで人体断裂」

「寮に入って、マフラー音がうるさいと木刀で殴りこまれる」

「苦情が会社に伝わり、総務部に呼び出され説教されたがマフラー交換は個人の自由と死守」

「業務中にプライベートのメッセンジャーを誤って全社員に送って人事から説教」

本当にこう見るとどうしょうもない社員でした。

でも、メンタルは決して強くないので仕事ができずに、病んで鬱っぽくなっていきました。

もぉ営業は絶対無理ってことで、経理に希望を出して部署異動したものの、長くは続かず、転職活動してました。

家族や親戚、上司からも、そんな甘い考えで辞めるのは危険って止められましたが、自分の精神がもたなかったんですよ。

転職~思考停止の十数年

半年ぐらいハローワークに通ったのですが、手に職がない人間が転職するのは大変。

今の現状から逃げ出す為に、必死で探してずーっと地元に残れる職場に無事就職することができました。

何か自分に箔を付ける為にも資格取得に励み

  • 行政書士
  • ファイナンシャルプランナー
  • 社会保険労務士
  • 中小企業診断士

など、高い通信教材を購入してチャレンジしても三日坊主。

あぁ、やっぱり続かなかった。

でも、19年も務めるとそれなりに仕事ができるようになってきてました。

今まで仕事ができないことがコンプレックスでしたが、一定の成果も出せるようになってきて楽しさも。

あとからですが、こなす仕事になっていて思考停止状態だったと気づく

この頃には、無事に結婚して子供もできて、趣味などを楽しむ余裕もでてきました。

決して、給料も悪くないし、お金にも苦労していない普通のサラリーマン生活を送ることができていたんですよね。

でも、人間って欲がでるもので、生活に慣れると更に上の生活を目指したくなってきます。

まだまだ、今の生活が続くけど

「やるたいことをお金で諦めないといけない」

「旅をしたいけど結局時間に縛られてしまう」

こんなままでいいのかって思いが日に日に大きくなってしまう。

でも、自分は、サラリーマン以外に稼ぐ手段を知らないし、自分には何か新しいことは無理だろって決めつけが強かったんです。

そんな時に、職場でとある事件があって、完全にやる気をを喪失。

そんタイミングで出会ったのがブログだったんです。

 

覚醒~普通のサラリーマンが人生を変えるブログと出会う

ブログとの出会いは、仕事でブロガーと呼ばれる人に出会ったことで人生が加速します。

ブロガーって何かというと、ブログで収益を得た生活している人です。

でも、普通に給料をもらってきたサラリーマンにとって、ブログで稼ぐって訳が分からないですよね?

ブログって日記じゃないの?って

その方は、全国的にも有名な地域ブロガーと呼ばれる、地域のローカル情報を調査して発信している方です。

・魅力がしっかり伝わる文章
・行きたいって思える写真
・本人も登場して親近感のある記事

そして何より自分の給料をはるかに上回る収入を得ているということ。

筋金入りの『普通のサラリーマン』の自分が

知らない非日常の世界を知って、感動を覚えたことは忘れられません。

これがブログと出会い、そして人生を変える大きな出会いあったことは間違えありません。

はっきりいって、今までの人生は全てネガティブで自己肯定感の低い人生を送ってきました。

でも、そんな僕でもネットビジネスで稼ぐことができるようになりました。

サラリーマンが、自分で稼ぐ力を付けることができれば、仕事の悩みや収入の悩みなど解消されることは多いです。

お金が全てとは言いませんが、お金があれば大抵のことは解決することができます。

僕の生い立ちは以上ですが、少しでもネットビジネスについて興味を持っていただければ嬉しいです。

また、何か質問したいとか聞いてみたいってことがあったらお気軽にお声かけ下さいね。

 

下記のブログはサラリーマンで、どんなふうに稼げるようになったのかをまとめています。

興味のある方はチェックしてください!

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